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小田眼科ニュース医心伝信 2008年07号(第222号)/「金魚」の話

2008.07.03 (Thu)
小田眼科ニュース医心伝信
Produced by *J.O.Y.
第222号 2008年07月号


 数号前に「駅弁」について書きました。その時「エキベン、エキベン」と売ると書きましたら、「ベントー、ベントー」ではないかと指摘されました。その通りです。「ベントー、ベントー」でした。「ベント、ベント」と短く言ったり長く延ばしたり、売り子によって個性がありました。ついでに金魚売りの事を思い出しました。金魚売りは夏の暑い盛りに来るもので「きんぎょーエーきんぎょ」の声が聞こえると外へ飛び出したものでした。リヤカー一杯に金魚鉢を積んだり吊したりして、水槽では金魚が泳ぎ、積まれたガラスの容器がぶつかる音、吊された風鈴の音、想い出はきれいで賑やかで静かです。

今月は「金魚」の話です。

 お祭りの縁日では金魚と鶏のヒナが売られていて、多くの子どもが命のはかなさを最初に学んだのが金魚とヒナ鳥ではなかったでしょうか。

 金魚の原産地は中国で、長江下流域の浙江省が発祥の地とされています。金魚はフナから突然変異でできたヒブナから品種改良されて生まれたものですが、中国では皇帝・皇族・貴族・士大夫らによって飼育・愛玩されてきました。このため文化大革命の時に金魚の飼育は攻撃、破壊の対象となり、生産、飼育とも壊滅状態に陥りました。文革後に日本の生産者らの協力により復興し、今では中国伝統の特産物として主要な輸出品にもなっているそうです。また、発音が「金余(きんよ)」(お金が余るほど貯まる)と似ているため、日本の招き猫のような縁起ものとされ、店の軒先に吊したり、店先に金魚鉢を置いたりするそうです。

 日本に金魚が伝来したのは室町時代で、江戸時代に養殖が始まりましたが、初期には贅沢品でした。江戸中期になるとメダカとともに庶民にも金魚を育てることが流行しました。でも、今のような飼育設備がありませんでしたので、金魚を飼えるのは庭に池があるような家に住んでいる武士・豪農・豪商だけでした。江戸時代の末期になって大量生産と流通が確立し、金魚の値段が下がったので、庶民も金魚玉と呼ばれるガラス製の球形の入れ物に金魚を入れ軒下に吊るしたり、たらいや陶器・火鉢などで飼育してささやかに楽しんだようです。幕末に金魚飼育ブームが起こり、浮世絵や日本画の題材としても広く取り上げられました。開国後、日本にきた外国人には長屋の軒先に置かれた水槽と金魚は珍しかったようで、旅行記に金魚の話や絵が多く残されています。

 日本では愛知県弥富市、奈良県大和郡山市、江戸川下流域は金魚の三大養殖地として知られており、他にも山形県や熊本県玉名郡長洲町、埼玉県北部、茨城県南部などでも養殖されており、各地に美しい魚体の保存、鑑賞を目的とした愛好会や保存会が多数存在します。

 また、金魚は熱帯魚には無いはっきりした色をしていますので、熱帯魚と共に飼育する人もいるそうです。また、金魚は屋外でも飼育できるためにガーデニンググッズとして錦鯉とともに人気があるということです。

 1994年7月8日には、宇宙酔いなどの研究のために、愛知県産の6匹の金魚が宇宙飛行士・向井千秋さんらとともにスペースシャトル「コロンビア」号に搭乗しました。この金魚がコロンビアの中でどうだったか、その後どうなったかは分かりません。なお、向井さんは元々は外科医で、石原裕次郎さんが入院した時の担当医の一人でもありました。

小田眼科医院

理事長 小田泰子

【編集】 |  14:24 |  小田眼科ニュース2008年  | トラックバック(0) | コメント(0) | Top↑

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